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株式会社伊丹レンタカーの歩み(1980年〜1989年)


昭和57年10月からは現在の船原受付事務所へ移転。本社は向かい側1階へ移転。25年以上を経ての初めての移転、当初は駅の南側から北側になったため新しい場所が分からず案内のためのこの場所での本社設置であった。ちなみにこの周辺の街の様子は一変している。

昭和60年代などは貨物車輌やマイクロバスが関西国際空港埋め立て工事などの車輌としてまた学校関係、面白いところではテレビ局やゴルフ中継、映画会社で利用されたりしている記録がある。各レンタカー会社もそのころCMなどをして様々な需要でのレンタカー利用の掘りおこしを実施、取り扱い車種、台数を増やしていった。
弊社もまたそうであり、創業当初の高級なレンタカーのイメージはなくなり手頃な価格でのレジャー・ビジネス・お引越とレンタカーの様々な利用方法が完全に確立したといえよう。

昭和から平成へ 現社長の就任、様々な取り組みから現在へ

(貸渡システム導入、福祉車両、電気自動車、エコカー導入、カーシェア、保険代理店提携)
創業者 山城龍(1916年〜1989年)逝去により、平成元年(1989年)6月〜 山城益史(ますし)就任(現・社長の就任)

昭和から平成へ、世界情勢も目まぐるしく変化、日本国内においても好景気からいわゆるバブル崩壊後も伊丹レンタカーは堅実に地域に根付いた密着経営を継続、様々な車両タイプのレンタカーを稼働させることができた。

就任当初は景気が低迷して様々な業界が低迷していたが、近隣大阪では「国際花と緑の博覧会」が行われ伊丹周辺からも会場までのレンタカーを利用など盛んであった記録がある。またレンタカーにおいては好景気、不景気関わらず需要がある業種であることがよく分かる時期であった。

株式会社伊丹レンタカーの歩み(1990年〜1999年)

伊丹災害サポート事業所登録証

平成の時代に於いて平成7年(1995年)の阪神淡路大震災は日本国内のみならず世界にも衝撃を与えた事案であった。神戸を震源としたそれは伊丹市内の被害も多く、特に阪急伊丹駅の駅舎倒壊には驚かされた。至近にある弊社本社、ならびに船原受付事務所、ガレージにおいても被害が少なからずあったが、車輌は貸出できる状況であった。
そんな中、貴重品、仏壇、仏具、荷物の持ち出しに無償で車輌やロープ、台車などを利用してもらっている記録がある。周辺は半壊の家々があり空港から緊急のヘリや飛行機の離陸音がずっと聞こえていて緊張感が続いた。道路が破損している個所があったり、水道等がしばらく使えない時期もあった。給水車での水汲みに必要なポリタンクをお取引企業様に大量に送っていただいたことは感謝の念に堪えない。これらの経験は現在登録している「伊丹災害サポート事業所」の契機であり地元自治会にも以前より加入させていただいている。
万が一、今後そのような不測の事態に地域をより前進させるべき企業であるべくこれからもお役に立てればと思うところである。

平成11年(1999年)ウインドウズ95によるシステム運用開始、顧客管理免許証スキャナー 貸渡証の印字、請求管理データ化、ユーザー管理開始現在の貸出システムの基礎となる。平成18年まで関西レンタカーとの共同管理となる。排ガス規制による車輌代替え。

1970年代

2000年代

兵庫県レンタカー協会
弊社は、兵庫県レンタカー協会加盟店です。
伊丹市ポータル いたみん
iac 伊丹アスリートクラブ
伊丹レンタカーはiacのサポートカンパニーです。