伊丹レンタカー2000年代伊丹レンタカー1980年代伊丹レンタカー2010年代伊丹レンタカー1990年代伊丹レンタカー1970年代 伊丹レンタカー1960年代

株式会社伊丹レンタカーの歩み(1970年〜1979年)


三菱ふそう

昭和45年以降、ますます需要が高まり、伊丹レンタカーでは当時メーカー系事業者ではなかなか出来ない各自動車メーカーの乗用車、多種多様な車両を導入し始めるのもこの時期であった。

昭和48年にはトヨタコロナ マークUスプリンター、ダイハツべレット、日産スカイラインなど導入し、更には貨物車の導入も開始。ダイハツデルタ、いすゞエルフなどのトラック、現在でも人気のハイエース、キャラバン、25人乗りマイクロバスもコースター、ローザ、いすゞジャーニーなど導入し取扱いを始めた。そのころ尼崎営業所は伊丹本社に集約し営業強化を図るのである。

関西レンタカーオープン

関西レンタカーの設立

昭和51年6月16日登記、川西市において「関西レンタカー」(川西市小花2丁目)を設立。
伊丹市と川西市での営業を強化する。阪神間、北摂エリアでの需要に対応した。
阪神高速延伸のため、平成元年3月1日からは川西市火打1丁目へ移転。兵庫県内、川西市、宝塚、三田、篠山方面の事業者様のみならず大阪府豊能、能勢などの役所、ゴルフ場などの山間部でのご利用、選挙カーの製作等、阪急川西能勢口駅、JR川西池田駅からの利用の主にビジネスユーザーを中心に営業を続けた。
川西市内複数の大手レンタカーの進出もあり地域で十分な役割を果たしたと判断、平成18年3月伊丹レンタカーと統合し伊丹での営業強化に集約。現在に至っている。

ローザ

関西レンタカー

トヨタコロナ

中小規模レンタカー事業者たちの試み

昭和50年台中ごろ、兵庫県内、中小規模レンタカー事業者の様々な試みとして、お客様への利便性の向上のため兵庫県レンタカー事業協同組合(神戸市)の設立を業界のパイオニア的存在であるコウベドライヴクラブさんら数社と設立に関与。これらは以前より各社が培った専門的な知識や対応をさらに県内で向上させる意味合いも強く、組合数最大時は県内において十数社加盟となり山城龍は組合の理事長なども歴任。(組合解体・平成26年3月31日)車輌の協同受注や連携、カーナビゲーションや粗品のタオル、発電機の購入などを協同で行ったりもした。
昭和50年後期には、PC-8000シリーズを駆使し組合独自での顧客管理や予約システムを構築し運営した。この件に関しては当時の通信等の環境ではまだ最大限に活用できなかったが、新しい試みと言える成果であったといえよう。

伊丹レンタカーオープンチラシ

株式会社トヨタレンタリース兵庫との営業所開設と取次店契約の締結

昭和54年9月には以前より取次店舗として、またそれ以上の機能を果たすべく双方が符合し伊丹営業所としての営業を開始。翌年3月川西営業所としても稼働開始、当時で言うサブフランチャイズで現在県内25店舗以上構えるトヨタレンタリース兵庫も当時は阪神間で神戸・西宮・尼崎の3店舗であったこともあり急速により短時間で広域をカバーするための施策だったと思うのだが、特に伊丹市周辺での弊社の以前からの取り組みが評価されたと感得している。尚、現在も取次店としての機能は十分に果たしており、直営店が大半を占めるなか現在も伊丹取次店として継続しお取引させていただいている。当時オープンチラシを1カ月で伊丹駅周辺2キロ圏内40,000枚配布の記録が残っており、当時の熱意が伝わる。

いすゞ

当時の導入車輌はすべて54年式コロナマークU E-RX40、コロナ1600ccデラックス E-TT130、カローラクーペ E-KE70、初代コロナE-TE41、初代タウンエーストラックH-RR10、ハイエースE-RH33Gなどであった。このあたりからレンタカー事業者の店舗数と保有台数は急激に増加していくのである。

1960年代

1980年代、1990年代

兵庫県レンタカー協会
弊社は、兵庫県レンタカー協会加盟店です。
伊丹市ポータル いたみん
iac 伊丹アスリートクラブ
伊丹レンタカーはiacのサポートカンパニーです。